日智関係
日智関係

日本とチリとの公式外交関係は1897年日智修好通商航海条約締結により始まりました。チリは1890年、初めて日本に総領事を送り、同条約調印後,初代大使としてカルロス・モルラ大使が東京に赴任し、1899年に明治天皇に信任状を捧呈しました。両国の政治関係は19世紀末に後に和泉と名前を変えた戦艦エスメラルダ号をチリ政府が日本政府に譲渡したことから一層進展することとなりました。同船はその後、津島海戦でめざましい働きをしたことで知られています。2国間の政治的関係は1943年に外交関係が中断され(その後の1945年の宣戦布告まで)るまで順調に推移していました。そして50年代に日本が駐チリ大使として成田勝四郎氏を任命したことで外交関係が復活しました。以降、現在まで岸信介、橋本龍太郎両首相が1959年と1996年にチリを訪問しています。一方、チリからはパトリシオ・エィルウイン大統領とエドゥアルド・フレイ大統領が日本を訪問しています。エィルウイン大統領は1992年に、そして、フレイ大統領は1994,1995年(APEC),1997年に訪日しました。1997年の訪問は両国の修好関係100周年を記念したものでした。
経済貿易関係については20年代に航路が開かれ、1905年からすでに硝石の買い付けは始まっていましたが、第2次世界大戦後には南米の他の国々と比較してはるかに急速なスピードで進展しました。これは一部には、チリが第1次産品生産国として恵まれた条件を持っていたことと、又、チリ企業の長期的ビジョンに負うところが大でありましたが、この事が日本との永続的関係を確立することに貢献しました。
現在ラテンアメリカ諸国の中で貿易関係でチリを上回る国はブラジル1国のみであります。チリがブラジルやペルー、メキシコ等と異なり、日本からの移民がほとんどいないことを考慮するとこの事実は非常に意義深いものです。
チリは日本と活発で多岐にわたる、非常に密度の濃い両国関係を維持しています。太平洋岸という恵まれた場所に位置し、政治,文化、社会的安定性と確固たる経済は、今後の最上の両国関係の展望を約束するものであり、重要な日本投資の受け皿ともなっています。
両国関係を支える主要なメカニズムがいくつか存在しますがその中でも重要なものは以下の通りであります。
1) 2国間メカニズム
チリ側はチリ日本友好議員連盟、会長は、セルヒオ・パエス上院議員
日本側は日智友好議員連盟.会長は元外務大臣・中山太郎衆議院議員
日本ラテンアメリカ環太平洋21世紀委員会チリ部会両国を代表する,文化,政治,学術、マスコミ界の知識人が会合を開いて両国関係を展望し、両国政府に一連の行動指針を提言するものです。
経済省の政策対話、日本の経済貿易省とチリの経済省間の経済政策に関する年次対話。
漁業協議、日本とチリで交互に定期的に開催され、チリの水産次官と日本の水産庁幹部が参加しています。
農業協議、定期的に開催され、双方に関心ある議題について話し合われます。
日智経済委員会、両国の企業家が参加する民間経済界のメカニズム。貿易や経済問題の中で相互に関心ある議題について話し合うために定期的に会議が開催されています。現在まで21回の開催を数え、最近では2000年9月にサンティアゴ市で、2002年5月に東京で合同委員会が開かれました。
2) 多国間メカニズム
APEC、アジア太平洋地域の自由貿易と経済協力を推進する国際的なフォーラム
PECC、アジア太平洋地域の協力を推進するための官、貿易、学術界間の会議
PBEC、貿易と投資の自由化を標榜して自由競争を奨励し、国際貿易環境整備を目指す団体
FOCALAE、ラテンアメリカー東アジア協力フォーラム。アメリカと東アジア地域の加盟国間の政治経済対話と協力、理解を促進する目的を持つ。
3) 協力
日本―チリパートナーシッププログラム
JICAとの間で締結された3者間協力メカニズム。南―南協力と呼ばれる地域内協力を内容とするプロジェクトを実施して両国で共同して第3国に教育訓練を行っている。この他にも、NTTとチリ大学間で行われている�アクセス・ノバ�というプロジェクトや、CONICYTと日本学術振興会間で行われてい、協力協定がある。
2国間議題の中で最近最も重要なものは両国間でそれぞれ実施された自由貿易協定のもたらす利点に関する調査であると考えられる。
このふたつの調査は「民間」の性格を持つもので実施期間は約8ヶ月、2001年6月に同時に両国の首都で発表され、その結論は同年11月に日本側からラゴス大統領に提出された。両調査が共に発展の可能性を肯定的に認めた点で一致したことは特筆に価する。専門家による肯定的進言に従い、次の段階として政府間の判断にゆだねられることとなる。もうひとつの重要な点は、新しい太平洋横断的機構に日本が参加したことである。同新機構の目的は既存機構に参加していない国々も含めたアジアとアメリカ諸国の接近である。この意味でシンガポールとチリの地域間メカニズム創設共同構想は当初から日本の支援を得ていた。第1回のラテンアメリカー東アジア協力フォーラム(英語の略語はFOCALAE)の閣僚級会議は2001年3月29日から30日の会期でサンチャゴにおいて開催された。その際に日本は創設されたみっつの作業部会におけるアジア側コーディネーターのひとつとなっている。
要人往来
両国の要人往来
2002
2月に外務省の招待によりCORFOの投資開発局長であるカルロス・アルバレス氏が日本を訪問した。同じく海外漁業協力財団(OFCF)の招待によりセルヒオ・ムヒカ国家漁業局長、国際協力基金の招待により作家のホルヘ・エドワーズ氏が訪日を果たした。又、5月23日・24日に東京で開催された第21回日智経済委員会にチリ政府の特使としてハイメ・カンポス農業大臣が参加した。6月にはビネクスポ開催にあたり、貿易振興局長であるガブリエラ・ルイトルト女史が日本を訪れている。
2001
日本からは中曽根康弘元首相がアジア太平洋議員フォーラムの議長としてチリを訪問し、麻生太郎氏を団長とする日本の国会議員団が同行した。又、JICAの招待でCORFOの国際関係局長であるフランシスコ・ハビエル・トロンコッソ氏が東京を訪問し、又、外務省の招待で下院議員であるグーテンベルグ・マルティネス氏が訪日した。さらに、日本からはサンチャゴで開催されたラテンアメリカー東アジアフォーラム(FOCALAE)閣僚会議に日本代表団団長として外務副大臣、荒木清彦参議院議員がチリを訪問している。ダニエル・アルバラン漁業次官は水産庁との第7回2国間協議に参加するために訪日した。パトリシオ・モラレス・アギーレ警察庁副長官はチリが推進する外国国家警察との協力プログラム促進のために日本を訪問した。
2000
参議院議員の井上豊氏は、大統領就任式(リカルド・ラゴス大統領)に参列した。ホセ・アウス民主党副党首が外務省の招待で訪日した。クラウディオ・ウエペ官房長官、上院議員カルロス・オミナミ氏はチリ政府特使として小渕首相の葬儀に参列した。チリ上院副議長であるマリオ・リオス上院議員は2001年1月にチリのバルパライソで開催されたアジア太平洋議員フォーラムへの日本の参加調整のために訪日した。ハイメ・カンポス農業大臣も訪日している。
1999
さらに、アントニオ・ララ・企画局長、ルイス・サンチェス経済局長が、日本の通商産業省とチリ経済省の対話のために来日した。フアン・ガブリエル・バルデス外務大臣も日本を公式訪問した。
1998
国会議員カルロス・オミナミ、フゥアン・クルス漁業次官、ジャン・ジャック・ドゥアルト農業副大臣は日本を訪問した。
1997
友好百周年開始にあたり(1月)チリのエドゥアルド・フレイ大統領と橋本龍太郎首相は親書の交換をした。ロス・ペランブレス銅鉱山資本金の大部分を日本のふたつの企業が取得することが発表された。チリ上院の漁業委員会と教育、科学、技術委員会の両委員長が訪日し、日本のカウンターパートと会談した。東京において皇族の方のご臨席を賜り、国際夫人福祉協会(ILBS)の慈善チャリティーボールが開催され、チリの活躍が広く認められた。日本の主要経済団体である経団連の豊田章一郎会長がチリを訪問した。チリのエドゥアルド・フレイ大統領が8月30日から9月3日にかけて開催された日智修好百周年記念式典参加のために日本を公式訪問した。常陸宮殿下同妃殿下が9月23日にチリを訪問された。6月には亀井静香建設大臣がチリを訪問した。
1996
坂本吉弘通商産業審議官と小川元外務省政務次官がサンティアゴを訪問した。チリは1980年にはじめられた交渉の末に地中海ミバエ非汚染国として認定された。マリアノ・フェルナンデス外務次官およびマヌエル・マルファン財務次官が訪日した。斎藤十郎参議院議長がチリを訪問した。オスカル・ランデレッチェ経済次官が日本の通商産業業省とチリの経済省間の対話に参加するために日本を訪れた。日本の橋本龍太郎首相がチリを公式訪問した(8月22日)。外務審議官小倉和夫氏がサンチャゴ訪問。セルヒオ・ディエス上院議長が上院議員代表団と共に来日。両国上院財務委員会会議開催。ベンハミン・テプリスキーチリ鉱業大臣訪日。カルロス・ムラディニック農業大臣、訪日。サンチャゴと東京にて公式の修好100周年記念組織委員会発足。
1995
エドゥアルド・フレイチリ大統領は大阪市で開催された第3回APEC首脳会議(11月17日)に出席。リカルド・ラゴス チリ公共大臣エドムンド・エルモシージャ住宅大臣が訪日。
1994
エドアルド・フレイチリ共和国大統領日本に公式実務訪問を実現(11月16日)。
1993
リオグループと日本との大臣級会議(トロイカ)出席のためにチリのエンリケ・シルバ外務大臣訪日。常陸宮殿下同妃殿下チリ訪問。エドガルド・ボエミンゲル大統領府官房長官、ホルヘ・ロドリゲス財務次官、ロベルト・マヨルガ外国投資委員会事務局長と共に来日。チリ大学と早稲田大学間で学術協定締結。
1992
パトリシオ・エィルウィンチリ共和国大統領訪日。エンリケ・シルバ外務大臣、アレハンドロ・フォクスレイ財務大臣、フアン・アグスティン・フィゲロア農業大臣が同行。これはチリ共和国元首による初めての日本公式訪問(11月17日)であった。ラテンアメリカ日本環太平洋21世紀委員会、日本チリ部会が創設された。チリにおいて日智友好議員連盟が発足した。エルウイン大統領の東京訪問の際には両友好議員連盟が共同宣言に調印した。海部俊樹元首相のチリ訪問。住友金属鉱山と住友商事によるチリへの大規模投資(カンデラリア銅鉱山)。
1991
フアン・ハミルトン鉱業大臣日本訪問。
1990
参議院議員遠藤要氏が政府特使として大統領就任式(エィルウイン大統領)に出席。エンリケ・シルバ外務大臣が今上天皇の即位の礼にチリ政府代表として出席。カルロス・オミナミ経済大臣の訪日。大阪の総領事館閉鎖。
1989
エルネン・フェリペ・エラスレスチリ外務大臣、チリ政府代表として昭和天皇大葬の礼に出席。エンリケ・セゲル財務大臣とペドロ・ラロンド経済大臣訪日。
1988
エルナン・ビッヒチリ財務大臣日本訪問。三菱商事がエスコンディダ銅鉱山に日本初の大規模投資実施。
1987
エルナン・ビッヒ経済財務大臣訪日。6月に大阪で総領事館開設。
1985
エルナン・ブッヒチリ財務大臣とルイス・エスコバル運輸大臣訪日。
1984
堀内俊夫参議院議員の発議により日智友好議員連盟設立。会長に参議院議員中山太郎氏が任命される。
1983
経済大臣(ロルフ・ルデルス)、農業大臣(マルティン・コスタバル)財務大臣(カルロス・カセレス)訪日。JICA(国際協力事業団)チリに代表事務所設立。
1981
田中六助通産大臣チリを訪問。
1980
チリ農業大臣訪日。サンティアゴにおいてチリ日本商工会議所設立。
1979
園田直外務大臣(8月21日)チリ訪問。日智経済委員会発足と第一回合同会議開催(9月25日)日本からチリへ漁業調査船「和泉」寄贈。
1978
日智技術協力協定締結(7月25日)。ロベルト・ケリー企画大臣訪日。
1977
財務・企画大臣日本訪問。その後パブロ・バラオナ経済大臣の日本訪問が続く。日本商工会議所会頭永野重雄氏サンチャゴ訪問。
1975
チリ海軍総司令官、軍事評議会委員ホセ・トリビオ・メリノ氏東京訪問。
1974
日本、1973年9月11日に政権についた軍事評議会を認知。
1970
チリ大阪万博に参加。
1969
ガブリエル・バルデス(10月4日)チリ外務大臣訪日。観光客ビザ発給相互免除の取り決めを締結する交換公文に署名。
1966
天理市とラ・セレナ市姉妹都市提携。新御所建設完成。屋根はチリの銅板で葺かれた。
1960
山田久成外務次官チリ訪問。バルディビアにて地震と津波が発生。日智双方に多数の犠牲者が出る。(日本は宮城県)清瀬一郎衆議院議長を団長とする日本の議員団チリを訪問。
1959
岸信介日本国首相チリ訪問(7月30日)。
1958
JETRO(日本貿易振興会)サンチャゴに事務所を開設。日本の「アトラス丸」バルパライソにて船上見本市。
1957
外交使節を公館から大使館に昇格。日本政府は矢口麓蔵氏を在チリ大使に任命。チリは在東京大使にロベルト・スアレス氏を任命。オズワルト・サイン・マリエチリ外務大臣訪日。
1956
チリ代表団日本の国連加盟支持。
1954
日本との和平条約批准。
1953
在チリ日本国全権公使として成田勝四郎氏任命。他方、在東京チリ全権公使はロベルト・スアレス氏。
1952
両国間に外交関係と領事関係再樹立。
1951
チリ、日本との平和条約をサンフランシスコにて調印。
1950
日本の商業ミッションサンチャゴ来訪。航海と無線通信業務再開。
1949
大戦中に中断されていた商取引が再開。
1945
4月2日チリによる対日宣戦布告。
1943
10月19日モルムガオン(ゴア)において外交団代表および民間人の相互交換の後、日本と国交断絶(1月20日)。
1942
チリ政府は真珠湾攻撃をアメリカ合衆国への攻撃とみなし、これを非難したが、米州外相会議で採択された枢軸国や日本との国交断絶(1942年1月28日、リオ・デ・ジャネイロ決議)勧告にはすぐに対応しなかった。
1941
チリ国内ではこの措置の利点と問題点について幅広い論争が開始された。
1940
サンチャゴ市制400年記念に際し、日本人会が巨大なチリ国旗を寄贈し、市内中心部に掲揚された。日智文化学院がサンティアゴ市内に設立。同年、日本において日本―チリ協会発足。
1937
チリ上院議員マキシミリアノ・エラスリス氏を団長とする大規模な経済ミッションの来日。
1936
三菱商事サンチャゴに駐在事務所開設。
1926
日本郵船会社(NYK)日本とチリの直接海運業務開始。
1914
チリ国内にはじめて貿易業務に従事する商事会社「太平洋貿易」設立。
1909
チリと日本のそれぞれの首都に常設公使館員を設ける外交関係が正式樹立。チリ政府に新任された最初の常任日本人外交官日置益公使赴任。一方日本にはアルセルモ・エビア公使が東京に赴任。
1908
常設の外交公館設立が提案され、東京にチリ領事館設立(3月28日)リチャード・キービー領事の任命。
1907
当初の貿易関係を記録で見るとチリの対日本主要輸出品は硝石で日本からはチリに主として食料、洋品、装飾品が輸出された。
1906
1897年の条約批准交換によりイキケに蒸気船「グレンファーグ」号が到着し、チリと日本の最初の直行便による海運が開始された。
1904
神戸にチリ領事館開設(3月18日)。ミゲル・ベンドレル氏が領事に任命される。
1899
最初の在大日本帝国新任チリ外交代表到着。カルロス・モルラ・ビクーニャチリ政府全権公使は明治天皇に信任状を捧呈し、東京で1897年条約の追加議定書に調印。
1897
9月25日、ワシントンにおいてチリと日本の間で修好、通商、航海条約が締結された正式に2つの国はの外交関係は確立された。
1896
日本はチリに在ワシントン公使を通じて修好、通商、航海条約締結を提案。ワシントン市における交渉の開始。
1895
チリ政府による日本政府への戦艦「エスメラルダ」号譲渡。帝国海軍に投入。戦艦「和泉」と名前を変えて日露戦争に参戦(1905年津島海戦)。
1890
日本に初めてチリ総領事館設置。アルフレド・コック・ポルト氏を領事として任命。
1874
在サンフランシスコ領事館にてチリと日本の正式な折衝の開始。チリ政府1875年開催のサンティアゴ万国博覧会に日本の参加招聘。同時に横浜におけるチリ領事館の開設を提案。
1867
最初の日本船「ストーンワオール」がチリの港(プンタ・アレナス)に到着。
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